重度のチック症(トゥレット症候群)の治療のために、開道先生以外の医者の診察を受けることを選んでいたら、呼吸法という治療方法について知ることはありませんでした。他の機能神経外科の医者を受診していたら、恐らく、手術の話を進めることになっていただろうと思います。また、神経内科の先生だと、効かない薬を試されるだけか、相手にされないかのどちらかだったでしょう。今のところ、治療方法が確立されていない病気なので、ほとんどの病院では、薬が処方されるだけです。それか、リスクを伴うDBSの手術をして、うまくいくかもしれないといったところでしょうか。
開道先生の話では、チック(トゥレット)に処方すべき薬というものは、医者の机に置いてある辞典のような薬の本には、載っていないという説明を受けました。DBSのリスクは、直接に詳しく説明を受けました。私の場合は、鍼も効果がありませんでした。自分でも、どうすることもできなくて、諦めるしかないと思っていました。
これから、どんどん、災害などが激しくなっていく中、今の難病を抱えた状態では、そのような厳しい状況に太刀打ちできそうもないと強く感じています。特に東京オリンピックがある2020年までには、なんとかしたいと思っています。何より、仕事ができないくらいの難病だと、生活水準というものをずっと維持することが難しくなります。今までは、かなり努力することによって、なんとか人並みの暮らしをしてきました。旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、人を助けたり、スポーツをしたり、そこそこの賃貸住宅に住んできました。
それが、健康を最優先に望むようになり、あとはどうにでもなるはずだから、とにかく、この難病から解放してほしいという切なる状況になってしまっています。絶望も感じ、かなりの期間を苦しみに費やした末、なんとか、抜け出せるかもしれないという道が見えてきたのはつい最近のことにすぎません。
元気な頃、読んだ話なのですが、行く手に壁が立ちふさがり、もう一歩も進めないと思ったときでも、あなたのすべきことは、その壁のとこまで進んでいくことだということでした。そうすれば、もしかしたら、壁に穴が開いているのを見つけることができるかもしれないし、壁を登るための隠れたハシゴを見つけることができるかもしれないというのです。アメリカの優れた教育の指導者が教えた教訓です。
もちろん、元気な頃は、そのように行うようには務めていたし、難しい状況でも努力などで乗り越えることができました。しかしながら、この難病だけは、本当に難しくて、壁のところまでの歩み方すらわからないし、あまりにも苦しくて、ちっとは進もうとはするのですが、難病ばっかりは、どうすることもできないとずっと思っていました。何度か歩み始めようとしてみても、嫌な思いをして苦しんだだけでした。コンドバカリハ、ドウスルコトモデキナイ。
それでも、いくらかですが、回復への兆しを感じ始めました。私は、なぜか、アメリカからのメールやらに助けられてきました。これは、ふろむアメリカというタイトルなんです。2ヶ月前までは、頚性神経症候群が最悪の状態で、それだけも相当な苦しみでした。つい、最近まで、目も覆いたくなるような、この重度チック症(トゥレット症候群)をまったく抑えることができない状況だったのです。
自分は、こんな恐ろしい難病にかかってしまい、ほとんど何もできなくなり、人生の落伍者としか思えませんでした。それが、普通だった頃からは、まだ遠いのですが、不随意運動をコントロールすることによってではあるものの、克服不可能と言われる難病から、いくらか立ち直って来ることができているのです。
何飛行機事故から生還し、恐ろしい火傷から立ち直った女性ブロガーのステファニー・クラーク・ニールソンの話を何度か読みました。事故当時の彼女の顔は、誰かもわからないくらいの状態だったそうです。そんな、普通だったら、凄まじいことのように思える経験を読んだとしても、どうしても、自分の難病とは別ものとしか考えることができませんでした。自分の症状があまりにも醜く、重く、激しく、苦しみが強かったからです。火傷の方が、現代医学では、治しやすいだろうと思ったし、実際、彼女の顔や体は美しく蘇っていたからです。彼女は、昏睡状態から目覚めた後、自分のひどい顔を見て、消えてなくなりたいと感じたそうです。しかしながら、そのような状況から這い上がった英雄です。美しい地球で、このかけがえのない人生を生きることへの喜びを伝え、ブログを通して400万人というフォロワーに、勇気や希望、愛を与え続けているというのです。
それに対して、私は、首や表情筋が恐ろしく激しく収縮し、顔中が引っ張られ、休むことなく1日中、痛みを伴う不随意運動が繰り返す毎日ですが、治る見込みなんてないに等しいのです。苦しさに耐えられないだけでなく、何もかもに捨てられたとしか感じることができませんでした。おまけに、頚性神経筋症候群からくる不定愁訴によっても、散々苦しんでいました。特に、極度の便秘で、毎日食べることを我慢していたにもかかわらず、お腹が膨れて、体重は増える一方でした。本当に嫌で仕方がありませんでした。とても辛かったです。
腸の蠕動運動や様々な自律神経に影響を及ぼすという、首の後ろの筋肉の状態は最悪らしく、頚性神経筋症候群と診断されました。絶対安静による治療が求められたのですが、不随意運動で首が激しく動くため、首の筋肉の治療は絶望的でした。骨格からも改善する必要がありましたが、この医学が発展し、情報化社会と言われるなか、そんな治療ができる病院を見つけることはできませんでした。
神が公平な方ということを信じることが難しくなっただけでなく、自分だけがなんでこんなに恐ろしい難病なのだろうかと考えながらも、どうすることもできずに毎日がすぎていきました。
回復のきっかけは、難病に苦しむなか、自分のブログを始め、頚性神経筋症候群についての細野クリニックのブログをたまたま見つけたことです。骨格を改善することによって、頚性神経筋症候群やむち打ちを治せるPANセラピーという、今まで聞いたこともない治療に可能性を感じました。それからも、苦しみばかりの毎日でしたが、細野クリニックの治療を受けてから、まっすぐだった頚椎が、綺麗なカーブを取り戻し、レントゲンで見ても、便秘が改善され、腕や足に力が入るようになったと同時に、体が軽くなり、開きっぱなしだった瞳孔が閉じてきました。これは、明らかな副交感神経の回復を表しています。ただ、その治療だけでは、首の後ろに核があるという自律神経が改善したにもかかわらず、不随意運動は治らないということがわかりました。