今日から、約1週間、大阪で、難病の重度チックに効果があるという、鍼治療に出かけます。新幹線は、いつものごとく多目的室を利用するので、個室です。ベッドにもなるため、病気で苦しい時にも便利です。何より、他人と会わずにすむため、不随意運動があってもまわりの目を気にする必要がありません。ホテルもそんなところです。Maris京橋というところに1週間ほど滞在しますが、チェックインもアウトも誰とも会わなくてすみます。その代わり、清掃はありませんが、部屋も広く、値段も普通のホテルよりは抑えてあります。キッチンもあり、ウィークリーマンションのような感じですが、値段は、もっと安いです。東京だとこの倍はかかりますが、大阪は、少し安く泊まることができます。あとで妻も来ますが、一人でも二人でも値段は変わりません。洗濯機が部屋にあることも助かります。何より鍼治療院まで歩いてすぐのところにあるため、通院にとても便利です。ドミトリーなどは、本当に安いのですが、私のような難病持ちは、まわりを気にしないけないうえに、チックでいうと音声チックのような不随意運動があるため、利用することができません。
口が勝手に動いて、音まで出るなんて、通常の人からしたら、考えられないことだと思います。私も、普通だったこころは、そんな病気があることすら知りませんでした。その中でも、特別ひどい症状のため、苦しいといったものではありません。難病にかかってからというもの一人で旅行に行くのは、初めてになります。前回の細野クリニックの治療のおかげで、少しはまともに歩けるようになったのが、大きかったです。まだ、旅行を楽しむということからはほど遠いのですが、ほんの少しは落ち着いたような気がします。ただ、妻の誕生日にすぐ近くにあるカラオケに行ってみてわかったのですが、本当にこの病気は、あらゆるものを奪っていきます。外の洗面所を使ったとき、自分の表情のなさや、歌いながらも襲ってくる顔や口の不随意運動の激しさに、がっかりしました。採点マシーンの点数も当然出ません。それでも、何時間か一緒にカラオケしました。妻の方は、いつものままなので、楽しめたようです。
この病気になってから、つまり、首を痛めてからというもの異常なくらい甘いものへの執着が増したのを覚えています。細野クリニックで、首を治療してもらってだいぶおさまりました。自分をコントロールすることが異常なくらい難しくなっていました。いまでもイライラすることがよくあります。とにかく、以前のように何もかもできなくなったことや治療方法がないことが大きなストレスになっているだけでなく、首というものが壊れると、すべてのものが狂ってしまうということを知りました。本当に、時間はあるにもかかわらず、自分の時間がなくなったことに間違いはありません。特に、この終わりのない不随意運動がある限り、苦しみから解放されることはありません。
甘いものについてですが、異常にアイスクリームを食べたり、会社でお茶の時間に出てくるお菓子もいつもは、持って帰って、妻が食べていたのですが、食べずにはいられなくなりました。全ては、首を痛めたことが原因なのですが、ここまで体が狂ってしまうとは思いませんでした。そのあげくに、不随意運動が始まりました。もうここまでくると、肉体も精神も限界まで追い込まれます。好きだった仕事が全然手がつけられなくなりました。会社のみんなで飲みに行く機会すら、きつくて行けなくなりました。もう、休みもレジャーもなく、なんとか仕事にしがみついていましたが、首の激しい不随意運動が始まったのをきっかけに、ついに会社にもいけなくなりました。それから、妻に精神科にぶち込まれました。もう自分では、為す術もありません。
別に精神がいかれたわけではないのですが、誰もそんなことは、わからないので全く関係のない薬で薬漬けにされる寸前まで追い込まれました。最初は、牢屋のような部屋でした。ガラス越しに医者が不随意運動に明らかに効かない首の痛み止めのような薬を毎食後に飲むように言います。本当にまずい食事が小さな隙間から、入れられます。歯を磨くこともできません。夜は、電気付けっ放しの中、薄汚いしみだらけのボロ切れで(本当に不衛生で信じられませんでした)、無理やり睡眠薬で寝かされました。とても病気を治療するところとは思えません。あまりの接遇にあっけに取られましたが、これが現実に起こっていることで、世にも奇妙な物語を思わせるような世界の変化でした。
首を治療しない限りは、治らなことを知っていたため、自分の病気を知らない人達に捕まってしまったと思わざるを得ませんでした。はっきり言ってしまえば、虐待でした。牢獄にまずい食事、強制的に飲まされる薬、わざと眠らせない環境、汚いボロ切れのような敷物のみの寝床。少し前まで、会社で、普通に働き、家庭で笑い、ボランティアをしたり、毎週スポーツをしていた人間に対してこれです。難病のために、こんな目にまであわないといけないのかと思わされました。
わけもわからず、時間がすぎていく中、限界に達したのか、顔の不随意運動が始まりました。首を痛めたことに加えて、この恐ろしい環境の変化に耐えきれなかったことも原因の一つだと思います。理解のない医者と看護師たち。外観こそ、綺麗な建物でしたが、中身は強制収容所でした。難病で苦しみ、いろいろなことが不自由になった患者に対して、何もかもが強制という手段を使われました。本当にこんな病院があるとは思いもしませんでした。牢屋のような部屋だけではなかったため、本当に精神の病気を患っている人には、役に立つのかもしれません。しかし、私の病気は、神経に関する病気だったため、このような医療で悪くはされましたが、よくなることは決してありません。少しも難病に対する気遣いもまともな治療もなく、強制によって効きもしない薬を飲まされた日々でした。
脳神経外科から、頚性神経筋症候群の診断が出ていました。入院が必要だと診断されている状況でした。確かに、この病気になると、仕事ができなくなることがあるそうです。精神科の薬では、決して治らない病気です。加えて、首の不随意運動が出たため、治療は絶望的な状況でした。不随意運動がひどくなり、苦しみも限界にきている中、妻を説得して、このミスマッチの精神病院から出ました。危険な薬が処方される寸前でした。こんな病院だから、本当に治療にならない薬を平気で出したがっていました。だからといって、頚性神経筋症候群の症状がひどいうえ、不随意運動までが、顔や全身にまで広がった中、会社に戻ることはできませんでした。有給を使い果たしたあと、待っていたのは一年間の休職期間でした。
世間では、仕事ができなくなったり、働けなくなると、精神科に入院させることが当たり前なのかもしれません。そうすれば、休養や薬でよくなると思われているようです。そういう人の方が一般的なのかもしれませんが、わたしの難病は、そんな生易しいものではありません。さらに、私がぶち込まれた病院は、とても精神が休まるようなところではありませんでした。ただでさえ、苦しい難病に侵されている中、患者を見下すことが当たり前のようなところで、過ごさないといけなかった日々は、病気を悪化させただけでなく、深い心の傷として残りました。医療先進国として、このような病院をとても恥ずかしく思いました。自分が経験したような思いをしなくてすむ普通の人達は、本当に幸せだと思いました。
私だけがこのような苦い杯から飲まないといけない理由は、いったいなんなのだろうかと考えることがあります。確かに私が礼拝しているイエスキリストは、私よりもさらに恐ろしく、苦しい目にあわれました。知性と力ともに最も優れていましたが、もっとも恐ろしい屈辱を味あわされました。そして、最も苦しいとされる十字架の刑の苦痛の中でも、自分の親のことを気遣われました。その知性や人格にかなう人なんて誰もいません。だから、私の苦しさや悔しい気持ちもわかるでしょう。難病に侵されてしまったばかりに味あわないといけない屈辱と肉体的、精神的な苦しみ。このような中でしか、私が目標としてきたような人格には到達できないうこということなのでしょうか?本当に、いつか当たり前の生活に戻ることができるのでしょうか?