頚性神経筋症候群を治すために、細野クリニックで治療を受けるまで、コントロールしきれなくなった体の変化をコントロールすることは、不可能に近いことでした。これは、本当に経験したものでないとわからないことだと思います。今でも、前のように二食を続けて断つということがどうもできません。細野クリニックのおかげで、いくらか以前のようにコントロールが可能となりました。ただ、不随意運動だけは、どうしても簡単には治りません。顔の表情を作ることもできないままです。麻痺したような顔でないときは、激しく筋肉が動きます。われながら凄まじく歪みます。人前に出れたものではありません。

細野クリニックのおかげで、体の歪みがとれ、首が良くなり、体型もだいぶまともに戻りました。しかしながら、首を痛めたというちょっとしたことで、全ては恐ろしく崩壊しました。人生における絶望を感じる気持ちとは、このことだと思います。さすがに、ここまで重く苦しい不随意運動があると、もう一度、普通の体に戻るのは、不可能としか思えません。このような恐ろしい難病さえなければ、いくらでもやり直せるのが人生のはずです。

首の怪我をして、半身不随となり二度と運動ができなくなった一流の体操選手の話も知りました。彼は、大学に戻り、小学生の先生になったそうです。色々なところで、講演にも呼ばれることになったそうです。今の私には、勉強をする能力もほとんどありません。信じられないと思いますが、あまりに苦しくて、仕事などを続けることが困難です。だから、治療を急いでいるというところがあります。どうしてもベッド周りの生活を送っています。

合格率が1割かそれより低いくらいの会計の資格にも合格したばっかりでした。そのおかげか、設備投資などのトップマネジメントが行う仕事も任され、仕事においてはちょうど一番いい時期でした。それををみすみす逃さないといけなくなるなんて、私の人生はどこまで苦しみに取り囲まれているのかと思わざるを得ませんでした。ずっと、やりたかった仕事だったのです。これから、定年までは、おそらく、ずっとそのような仕事を行うことができたのです。試験だって、本当に難しかったので、人並み以上に、勉強して臨みました。もちろん、勉強だけでなく、ボランティアをしたり、スポーツや家族との時間もできるかぎり、充実するように過ごしてきました。そうやって、努力してやっとのこさ手に入れた自由とやりがいでしたが、あっさりと奪われることになりました。残ったのが、この難病との果てることもない闘病生活と、そのような苦しむ私を支える妻との暮らしでした。

仕事やこの世的なものは、根こそぎ奪われていきました。せめて、仕事ができるくらいの病気だったら、社会的にも、経済的にも安定した生活を送ることができたし、家族との幸せな時間を奪われることもありませんでした。以前のような妻との充実した時間は、失くなってしまいました。仕事すらできない体で、これだけ苦しくて何もできない状態では、妻に何かをしてあげるということがほとんどできません。一緒に外食に行くことも、無理矢理ならできますが、それは、本当に苦痛を伴いながらでしか成り立つことはありません。もう、美味しいレストランで、楽しい時間を過ごすことや、一緒に旅行に出かけて、家族の思い出を残すことは、今の難病を抱えている限りは、手の届かないところにあるのです。知り合いの車椅子生活の同年代の方がよっぽど充実した人生を送れて、苦痛もないのです。

人生に、苦難はつきものですが、元気なころに乗り越えなければならない試練と、今、目前のこの恐ろしい難病と闘う試練では、一万倍以上の差があります。はっきりいって、今まで行ってきたことで、とても辛かったことや悲しみ、病気などもありますが、今の困難に比べたら、それらは、幸せとしかいいようがありません。この難病のためにどれだけの苦しみを毎日毎時間味わいながら生きないといけないことか。時々感じる絶望感も合わせると、その重みは、恐ろしく生活にのしかかってきます。顔がゆがんでもう、まともに笑うことすらできないのです。

痛みだけをとっても、結構なものがやすみなく襲ってきます。それは、痛み止めでも、ペインクリニックでも取り除くことができません。というかペインクリニックには、相手にされません。せめて、痛みだけでも抑えることができるのなら、どんなに楽だろうかと思います。それは、大げさだし、大人なのだから、耐えるべきなのではないか?そう思われるかもしれませんが、これほど、終わりなくのしかかる治療もできない苦しみは、滅多にありません。頚性神経筋症候群の病気だけとっても、相当なく苦痛であることは、その患者なら知っています。不随意運動の苦しみは、その患者なら絶対知っています。それの重量級の症状がどんなに堪え難いことか。選べることなら、この病気だけは、絶対選びたくありません。

食事は、質素になりましたが、まあ、それだけなら耐えることができます。とにかく、肉体的、精神的苦痛が日常生活で耐えられる限界を軽く超えています。肉体は苦しみからの解放を切に訴えます。治療費もばかになりません。治療方法自体がないため、実績のある特殊な治療に頼らなくてはなりません。そのため、健康保険が使えないことばかりです。本当に、どうなってるの?と尋ねたくなります。滅多にない重度難病に対しては、かなり処遇が冷たいのが医療です。この医療先進国で、あまりにも難病対策というものは、なされていないことに驚きました。

病気になったら、早く治療するのが基本だと思いますし、普通、それを勧められるものです。これでもかというほど、後回しにされるのが私の難病です。診てくれる医師すら、ごく稀にしかいません。治せる医者といったら、いないか、指で数えるほどなのです。本当に、医療とは、無縁でありたいものです。ただ、健康保険料を払って、支えているのが一番楽でした。もう、これ以上、難病とも病院とも向き合いたくはないのですが、それができないのが辛いところです。健康な時に受ける試練は、今の試練に比べたら幸せでしかありませんでした。そのような中で成長でき、当たり前の普通の幸せな時間があるのです。

今の苦痛の生活の中で、一体何を学ぶことができるのでしょうか?神のような人格がこのような恐ろしい状態で、築かれるということなのでしょうか?よくは、わかりませんが、元気だったころ、困難に向き合っていた時より、一万倍以上の困難と苦痛を伴っていることだけは、間違いありません。元々だって、困難に向き合いながら、努力して生活してきたおかげで、なんとか人並みの生活を送ってきたのです。今は、人間らしい生活を送ることすらできていません。毎時間の苦しみに耐えながら、なんとか傷病手当でしのぎ、貯金を崩して治療を受ける生活です。特に不随意運動については、治る見通しはありません。いつまで、闘うことになるのかはわかりませんが、肉体と精神が耐えられることを願い、当たり前の生活を取り戻せることを願っています。

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